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 今の世に、出自、門地によりて世の人の軽重を問ふ悪しき慣ひの行はるること稀なりといえど、なほ祖先を探りこれを祀ること、人の心の常に欲する所なり。すなはち、父祖なくして、生を受くる者、絶えて無ければなり、なかにも、今の世は、人の心を忘れ、俗に流れ、利に弄り眩ること多くして、己の身の来し方を顧み、子々孫々の行く方を按ずる風潮、極めて軽く羽毛の如し。かかる打ち乱れし世に、己が先祖の在り様を尋ね、その縁を知るは、おほいなる愉悦なるべし。また、人の心に還る因とならむ。今、貴姓の諸氏が運勢につきて姓名の印相を慮るは、偏に一族氏人の御多幸に供さんがためなり。己を著す印章は共に先祖をも表す本質為りて、扱えばぞ、それなりになりけり。是れを機に、貴氏が子々孫々に、篤き崇祖の念興り、御縁起と御まじないの品物を得て開運なば望外の倖なり。​

伝統手彫り

御印章

西

堂 

印 手彫 はんこ ハンコ 判子
​ご挨拶

「邪を捨てて正に帰す」本物に誠意と心を込めて仕掛かる時、名(古を起源とする表音表意文字)を以って篆刻髄の希望や意志が発揮され初物(節目での良い出立を願う)印章が出来上がる。   

篆刻能力を磨き、仕掛方法を知り具現化させる腕前を有する者の証(一級印判士資格)。体の柔剣精神で一筋に加工(付加価値)を試み、作業性も上げる。複製を防止する工夫を心得る。

伝統的篆刻の手順を熟(こな)し革新的吉相書体も創造できる。相対する印章彫刻方法を使い分ける匠。印章の主たる働きを端緒に他の物事を働かす理が御印章に宿るを持ち主(己)のに変化。 

姿

​「技巧に重きを置き、美を追求する」も実用保証かつ経済的な値段の創出を追求する姿旨味や趣(唯一無二)を持つ醍醐味を本物(御印章/現形)で著し持ち主への感動と満足感を贈る姿情。

初めまして、こんにちは。

私は印章製作者で、西川 學と申します。

此のホームページは、「印章」という文化が現存し
その意義と具体的な品物(印章)を紹介しようと
思って製作しました。

付随的に販売促進もしています。それは、製作した
品物を売り上げるのが私の糧であるからです。

芸術紋章としての美しさと、それが法的公私認定物
として存在する社会について。

それらの理解を深める、もしくは、それらに興味を
抱(いだ)くきっかけになれば幸いと思います。

よろしくどうぞ。

May be first time meet you? Hello.

I'm Manabu_Nishikawa and "IN-SHOW" engraver.

This HP introduces concernning to "IN-SHOW" 
(that) existing as culture, its meaning, and concrete articles.

HP may has a point of view  sales promotion as accompanying,
and it's my work (that) make an article for sale as "the arms of the a sign ".

About society exists,

it has beauty as art - coat of arms that has 
legal authorization for officially and privately.

I hope,you do to grasp deepen them knowledge and

If they lead yours.


I'm pleased to meet you.

印材紹介
​印材紹介
 
印の種類
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手彫り印の術(すべ)
​手彫り印の術
お問合せ・御買付け
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<我が"「姓」の由来する所、近代における成り立ち、直系家系の概略を記す。>

・先々々代 :「西川屋(総称)」(徳次郎)[明治十九] 1886※東京市誕生に伴い手工業昂進令に依り信濃国更科より転住。

                              養蚕・蕎麦・保存食・宮大工・彫刻の伝承とその伝播を明治政府太政官より命じられる。 

                                  (転住後天地不合に依り養蚕廃業)

   [本籍地]   「棟梁新堀西川」(徳次郎 師匠/正矩 棟梁) : 東京府東京市日本橋区北新堀町拾八番地  稼業壱 :宮大工・木彫師

                           (現:東京都中央区日本橋箱崎町十八番地)   

     [創業地]   「京橋西川判屋」(寶矩)              :東京府東京市京橋区塩町拾六番地         稼業弐:印判[印章・彫ゴム判]彫刻・漬物屋

   [分業]   「更科蕎麦屋西川」(郷)          :東京府東京市京橋区塩町弐拾壱番地      稼業参:更科蕎麦屋・乾物仕出し屋 

                                       - 1916

 ・先々代   :「京橋西川判屋」  (寶矩)[大正六]    1917  ※次男(寶矩)家督相続(稼業弐)也。長男(正矩)は稼業壱を、三男(郷)は稼業参を継ぐ。

                                     - 1923

                  ※震災にて地域商業壊滅、戸籍簿、地積権利簿消失、且つ復興勅令に依り「復興援助」を命じられる。

                   依って移転し復興援助を兼ね稼業再開也。長男(正矩)は「震災ニヨリ不明」依って宮大工廃業。    

・先々代(続):西川判屋(寶矩) [昭和元年]       1926 ※「京橋西川判屋」、「更科蕎麦屋西川」を 改め稼業再開。  

       「更科蕎麦西川」(郷):東京府東京市城東区大島町七丁目百七拾参番地          稼業壱:更科蕎麦屋               

                        (戦後 東京府南葛飾郡大島町七丁目百七拾参番地)

         「耕雲堂」(寶矩)  :東京府東京市城東区大島町八丁目五百七番地                  稼業弐:印判彫刻

                                             (戦後 東京府南葛飾郡大島町八丁目五百七番地)

                         - 1945

                 ※参月八日の大空襲~終戦~GHQ被災管理統制令に依り転出。その折り、「更科蕎麦西川」は牛込区

                 (現 高田馬場付近)へ転出、双方共に移転新地にて稼業再開也。  

           「耕雲堂」(寶矩)[昭和二一]       1946 - 1967

           東京府東京市東葛飾郡大字東一之江一丁目弐拾壱番地                             稼 業:印判彫刻(印章彫刻・彫りゴム判製作)

         (後に  東京都江戸川区一之江六丁目一番地二十一

                                          

                                                                                           

・先代  :「耕雲堂」(碩哉)  [昭和四二]     1967.12.1 - 1968.12 

                 ※稼業承継に際し同地に新店舗建築、共通番地隣に仮店舗し稼業再開。

        「西川耕雲堂」(碩哉)[昭和四四]       1969.2.1 - 2010.7.12

                 ※屋号を「西川耕雲堂」へ改め新店舗に於いて開業。

                  東京都江戸川区一之江四丁目一番地四号            稼業:一級印判士・印相鑑定士・ゴム印・表札・印刷・各種附属品取り扱い(印判製造業)

            (現:東京都江戸川区一之江六丁目十九番地三号)

・現役  :「西川耕雲堂」(學)  [平成二二]               2010.7.22 -※稼業承継。 2014.8.21:一級印判士(彫刻篆刻の部)合格、同時に全日本印章業協会入認。

       東京都江戸川区一之江六丁目十九番地三号        稼業:一級印判士・印相鑑定士・ゴム印・表札・印刷・各種附属品取り扱い(印判製造業) 

                                                                      以上。

               

 

 

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